【FINLAND】 フィンランドで妊娠出産 #5

 プロフィール

名前: 浦田愛香

AIKA FELT WORKS デザイナー
大阪で家具デザインのアシスタントを経て、2001年にフィンランドへ移住。 2005年にラップランド大学工業デザイン科を卒業と同時に、AIKA FELT WORKSをフィンランドの北極圏に近いロヴァニエミに設立。 ウールフェルトを素材にスリッパやバッグなどのインテリア雑貨を手作りで制作・販売している。 商品はウェブショップから直接購入することも可能。www.aikafeltworks.com
2011年2月に出産。その後産休を経て、現在はフィンランド人の夫とシフト​制で数時間ずつ働き始める。育児と仕事の隙をみてブログも更新中。

フィンランドに移住して10年、齢37にして初の妊娠出産をフィンランドで経験しました。 2011年2月に無事出産し、外国での子育てをスタート。そして5ヶ月が経った現在は、フィンランド人の夫とシフト​制で数時間ずつ働き始めました。 フィンランドは福祉国家としても知られていますね。 わたしの体験からフィンランドでの妊娠・出産、育児事情について知ったことや感じたことをいろいろ綴りたいと思います。 よろしくお願いします。

フィンランドで妊娠出産 #5  赤ちゃんを取り巻くモノ

 

息子を産んで、もう5ヶ月が過ぎました。産後、私にかなりの出血があり、朦朧とした状態で始まった育児。
生まれたばかりのぐにゃぐにゃの赤ちゃんを抱っこすることや、オムツを換えることすら初めてのことで、
『こんなんでいいのかしら?』とおろおろの毎日でした。夜中の授乳は特に心細くて、外国で真夜中に息子と
二人きり、ゲップがしたくて苦しいのか、まだお腹がすいてて足りないのか、じたばた泣いて苦しそうな
赤ん坊を抱いて、私の気持ちもじたばたしていました。

 

ところが、これも回数を重ねると要領がわかってくるものですね。慣れることが大事。こんな風に書いたら
怒られるかもしれませんが、出産も育児も、スポーツみたいだなと思います。例えばスキーを初めてやるとして、
やる前から“滑れるかしら”、“怪我しないかしら”、“長続きするかしら”などと、あれこれ悩んでも意味が
ないですよね?とにかくやってみて、失敗したりうまくいったりして体で覚えていくもの。悩み始めるのはある程度
できるようになってからです。例えば子供を育てる資格があるとかないとかって、育てる前に悩むのは、スキーを
やる資格があるかないか、やる前に問うのと同じぐらい愚問のような気がするのです。今の私に育児で必要なのは、
とにかく夜中に起きる、抱っこをする、笑いかけることのできる身体、それを続ける体力。誰にも同じように子育てを
する資質はあるのだと思うようになりました。

 

さて、今回は少し赤ちゃんにまつわるモノの話を。

 

赤ちゃんの成長は早い、とは知っていましたが、こんなに急速だとは‥。生まれたばかりのころのベビー服の
サイズは50センチ。これが、一ヶ月で着れなくなってしまいました。友人らから教えられていた通り、赤ちゃん
ってよく吐くので、一日に何度も着替えが必要で(午前中に四回が今のところ最高記録)、そうなるとロンパース
1サイズだけで少なくとも6,7枚ないと間に合いません。ラッキーなことに、衣服は夫の妹に生まれた赤ちゃんの
お下がりをもらえることになって、私達は数着足りなかったものを買い足すだけで、これまでほとんど何も買って
いないのですが、これらをすべて買っていたらかなりの出費でした。


そんな中、違う人からのお下がりが。

 

 

これは、夫が赤ん坊の頃着ていたベビー服。なんと37年前に着ていた夫からのお下がりです。私がこのベビー服を
初めて見たのは夫と暮らし始めたころで、クローゼットの中に無造作につっこまれていました。


『??‥‥なんでベビー服が彼のクローゼットに?』と不思議に思い聞いてみると、それは彼が赤ちゃんの時
着せられていたもので、彼の母親がずっと大切に保管して、彼が一人暮らしを始める時に、一緒に持って行って
と渡され、何度も引越しを繰り返す間もずっと彼のクローゼットにしまわれ、彼とともに時を過ごしてきた服
なのでした。


ちょっと感動して、できればこの服を私達の子供に着せたいと思うようになりました。


だけど、そんなにうまく物事はまわっていきません。それから数年、私達に子供は授からず、どうも不妊らしい
ということがわかり、外で赤ちゃん連れの母親を見かけては辛い気持ちになったり、友人に子供が授かっては
複雑な感情に苛立ったり、でもあきらめもつきかけ、歳をとり、4年が過ぎた頃、夫の妹に男の子が誕生しました。


そして夫は、あっさりそのベビー服を甥にあげてしまったのです。


『いつまでも着られないまま、しまわれていてもしょうがないものね』、と自分に言い聞かせ、夫のお下がりの
ベビー服を着た甥の写真を眺めて、私はやっぱりちょっと傷ついていました。


あきらめがついて、もういいや、私には仕事があるし、夫と二人で中古の家を買って、自分達で手を入れて、
時間をかけて好きな空間を作って、そうやって暮らしていこうと決心し、いろいろ物件を見てまわっていた
ときに、私達に子供が授かりました。


夫の妹は、私が子供を待ち望んでいたこと、夫のお下がりのベビー服を自分の子供に着せたいと思っていたことを、
知っていたようでした。甥を抱っこした義理の妹は、そのベビー服を甥に持たせて、『妊娠おめでとう!貸して
くれてありがとうね』と、私達に微笑みながら返してくれたのでした。


そうやって私達夫婦、それから義理の妹家族の間にずっと一緒にあったベビー服は、私の息子が使い、それも
もう小さくなって着れなくなって、今は夫が作った額縁のなかに納められ、私達の寝室に飾られています。


このベビー服、よく見ると、胸のアップリケはどうも彼の母親が手縫いでつけたもののよう(彼女は裁縫が
あまり得意ではないので、その仕事を見ていると微笑ましい)。姑が夫を産んだのは20歳で、姑夫婦は一軒家の
2階を間借りして、小さな赤ん坊だった夫を抱えて暮らしていたのでした。

 

 

 

 モノは言葉を話しはしませんが、私達のそばにあって一緒に時間を重ねて行きます。モノが人の気持ちを波立たせ
たり、しみじみとした喜びを与えてくれたり、それを取り巻く人々によって大事な記憶の形となります。


使わなくなったら置き場に困るのが現実ですが、夫の両親はこのベビー服以外にも、いろいろなモノをずっと
大事に保管してきました。


夫が使った初めてのフォークとナイフ。
夫が使っていたおもちゃ。沢山できた傷が、私達の息子によってまた増やされていくのが楽しみです。

 

 

これは赤ちゃんの成長記録のダイアリー。身長、体重、寝返りをうてた日、初めて話したことばなどを記入するのですが、
夫が赤ちゃんのころにつけられていたのと同じダイアリーが、未だに売られていて、それを息子の誕生祝いにもらいました。
版を重ねて、何十年も売られ続けているんですね。右の古いほう、そしてその下にあるのが夫の成長記録です。

 

 

 

最後にひとつだけ。
待ち望んでいるのに、子供が授からないご夫婦のみなさんに、どうか、小さな命がさずかりますように。
私達に訪れた偶然が、起こりますように。

 


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